境界性人格障害 - ボーダーラインな私の人生 -

幼少期のお話 1

 

小さい頃の私は体が弱く

よく肺炎になったり、ひきつけを起こしたりして

入退院を繰り返していました。

 

点滴は慣れたものでしたし

入院する度に親戚におもちゃを貰ったり

母方の祖母には売店でお菓子を買ってもらったりしていたので

記憶の中の入院ライフは

意外と楽しい思い出として残っています。笑

 

ただ、そのせいで幼稚園は休みがちになり

さらに超がつく程の人見知りだった為

友達も少なく、近所の子供会への参加さえも

嫌過ぎてやめてました。

 

当時、両親は共働きで

家の最寄駅から数駅離れたスーパーの中で

靴屋を営んでいました。

靴屋はスーパー1階の路面店

目の前の道路を挟んだ向かい側には

父方の祖母が営むブティックがありました。

 

商店街だったので

周りの大人はみんな顔見知りばかり。

私は幼稚園が終わると、いつも祖母のお店か

商店街の人達のお店で遊んだり

お手伝いをしたりしていました。

 

夕方になると、母は私を連れて家へ帰り

父は最後までお店に残っていました。

 

私には6歳上の姉がいます。

姉とはよく喧嘩をして、よく泣いていました。

泣くと必ず父に慰めてもらっていたような

記憶があります。父が好きで甘えていました。

 

父はパソコンやゲームが得意で

私はよく教えてもらっていました。

だから今でもゲームが好きで

パソコンを触ったりするのも得意です。

 

幼稚園にはいつも寝坊して遅刻をするのに

土日は誰よりも早起きでした。

父も早起きでした。

だから休みの日の朝は、パジャマ姿のまま

よく父と遊んでいました。

 

でも、いつからかは覚えていませんが

多分私が小学1年生の頃あたりから

父は土日の朝は早く出て行くようになりました。

 

私はいつも遊んで欲しくて

玄関で出ていこうとする父の背中に向かって

「どこ行くのー!遊んでよー!」「連れてってー」

とよく駄々をこねていた記憶があります。

 

思い出すのは

振り返ることなく出て行く父の後ろ姿と

「ゴルフに行くから。」というセリフ。

そして、出て行った後に残された私の姿と

幼いながらに思う

置いていかれてさびしいなという気持ちと

玄関の片隅に残されていた黒いゴルフバッグ。

たぶんですが、父はゴルフをする人ではありませんでした。

 

記憶を思い出す時

私は不思議といつも

その光景を、大人の目線の高さで

俯瞰している構図になります。

 

わかりやすく言えば

よくアニメとかで、大きくなった自分達が

当時にそのままタイムスリップして

小さい頃の自分達を見ている。

みたいな場面ありますよね?

そんな感じです。

 

皆さんも同じような感じなんですかね?

人それぞれなのかもしれませんが

私の場合はそうなんです。

 

だからなのか

大きくなってその場にいる私はいつも思うんです。

かわいそうだなって。

置いていかれて、かわいそうだなって。

 

そして、子供の頃には知らなかったであろう

むなしい。という気持ちだけは

思い出している"今"の自分が感じるんです。

 

私の人生にとってこのシーンは

とても重要な場面なのだと思います。

 

ただし、この場面の本当の意味に気づくのは

大人になって、いろんな事を知った後の

お話なんですけどね。

 

 

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