境界性人格障害 - ボーダーラインな私の人生 -

幼少期のお話3

 

ある日突然父が居なくなり

会いたくても会えない寂しさから

私は自分の部屋でよく泣くようになりました。

 

ただ、母や姉に

なぜ父が帰って来ないのか?

その理由を尋ねた事は、私が記憶する限りありません。子供ながらに聞いてはいけない事のような気がしていたので聞きませんでした。

その質問をしたらきっと

母が悲しむと思ったからです。

 

父に会いたい!と言って泣いたりする事も

同じくいけない事なのだと感じていたので

母や姉の前では泣きませんでした。

いつも自分の部屋のベッドで枕に顔をうずめ

声が漏れないように泣いていました。

声にもならない声をあげ

嗚咽も涙も、全て枕の奥底に押し込むように

吐き出していました。

 

私の部屋は2階でした。

いつも1階で母が夕飯の支度をするタイミングで泣いていました。

少しでも母に声が聞こえないように。

母はきっとわかっていたと思います。

でも、誰もそれには触れませんでした。

 

不幸でもいい。

毎日殴られてもいい。

それでもなんでもいいから

神様お願いします。

たった1日だけでいいから、昔みたいに

家族4人で笑いながら楽しく過ごしたいです。

お願いします。

 

そう何度も何度も

私は神様に同じお願いをしました。

でも結局、その願いが叶うことはありませんでした。

 

 

 

 

今、このブログを書いていて気づきましたが

世間ではもうすぐ父の日ですね。

 

私は、父の日が嫌いでした。

 

私が小学生の頃は

親が居ないことに対しての偏見が

今より強かったように思います。

いじめや悪口の的にもなるかもしれない。

それが怖くて、私は友達にすら

父がいない事を隠していました。

 

今でも思い出す友達とのやりとりがあります。

下校時、友人が

「明日父の日だけど、何買ったー?

もうあげるもの思いつかなくて

プレゼント用意できてない」

そう言いました。

それを聞いて私は

「私はネクタイにしたよ。緑色のやつ。」

と答えました。

私は何食わぬ顔をして嘘をつきました。

まるで本当にネクタイを買ったかのように。

 

 

父の日にプレゼントを用意した事はありません。

なぜなら渡す相手が居なかったからです。

父の日も、父親参観の日も、運動会も

音楽会にも、父が来た記憶はありませんし

家族旅行も、お祭りも、花火大会も

父といった記憶はありません。

 

父の日は私に関係がない日ですが

今でも時折、プレゼントを買っている人を

羨ましく思う時があります。

 

祝える相手がいることが

実は幸せなことなのだと気付くのは

案外に難しい事ですよね。

 

 

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