境界性人格障害 - ボーダーライフな私の人生 -

幼少期のお話2

 

実際のところ、いつ頃まで父が家にいたのか

はっきりとは覚えていません。

でも、いつ頃からか

父は家にもお店にも帰って来なくなりました。

私が小学1年の時は居たと思います。

 

父が居なくなり、母は夜までお店で

働くようになりました。

そして私は鍵っ子になりました。

学校が終わると、家に帰りました。

たまに学童に行っていた記憶もあります。

 

家に帰っても、誰もいませんでした。

姉はすでに中学生。部活もしていたので

帰ってくるのは夕方でした。

 

私は大抵、テレビゲームをしたり

母がTSUTAYAで借りてきてくれていた

ディズニーやジブリのビデオを見て

時間を潰していました。

 

そう考えると、今はYouTubeやネットで

映画やアニメが観られるので

留守番するにはいい時代なのかな?笑

 

たまに、母方の祖母が遠くから

遊びに来てくれていました。電車を乗り継ぐと

1時間はかかったと思います。

年齢的には結構大変だったんだろうと

今ならわかります。

 

たった一度だけ、祖母が居る日に

父がプレゼントを持って、帰ってきた事がありました。

誕生日でも、クリスマスでもなんでもない日。

父は私にスーパーファミコンのソフトと

専用の収納ケースをくれました。

 

子供だったので、単純に何もない日に

プレゼントを貰えたのが嬉しかったです。

それに父に会えた事も。

 

ただ、父からすれば罰が悪かったのでしょう。

プレゼントを渡すなり、すぐに行ってしまいました。

私は遊んで欲しくて駄々をこねましたが

祖母に軽く挨拶して去って行きました。

 

当時は今のように携帯電話は普及しておらず

連絡を取る事もできず、居場所もわかりませんでした。

 

それでも、どうしても父に会いたかった私は

苦肉の策として、父方の祖母の家に

たまに泊まりに行くようになりました。

 

なぜか?

 

土日に泊まりに行くと、たまに父が

祖母の家に来る時があったからです。

 

ただ、私は父方の祖母の事を

あまり好きではありませんでした。

 

なぜなら、父方の祖母は

母の事をよく思っておらず

いつも私に母の悪口を言うからです。

それに、祖母がつけている香水のキツイ

匂いも苦手でした。

 

「このライトは、母が壊した。」

「母にはあげないが、おばあちゃんが亡くなったら、この宝石は全部〇〇ちゃん(私の名前)にはあげるからね。」など。

今思い出しても不快に感じる思い出です。

 

それでも、父が来る事を期待して

何度も泊まりに行きました。

 

父が来た日は、みんなでトランプや花札をして

遊びました。何度も何度も繰り返し。

父がもう帰るといっても

私は「あと一回!」「もう一回だけ!」

と駄々をこねては、少しでも父との時間を

得ようとしました。

 

しかし、父はだんだんイライラして

いつも最後は「しつこい!」といって

出て行きました。

 

それでも。

そんな扱いをされても

幼い私にとっては

父に会えることが本当に嬉しかったのです。

 

 

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