境界性人格障害- ボーダーラインな私の人生 -

幼少期のお話4

 

私は、父が帰って来なくなった理由を

誰にも聞きませんでした。

母や姉からも、説明された記憶はありません。

 

大人になってから姉に聞きましたが

母は幼かった私を気遣って、理由を話さなかったそうです。

母や姉の曰く、私は感受性が強いのだとか。

今でも自分ではこういう事はよくわかりませんが、友人や会社の仲の良い人などには

出会った頃に必ずと言っていい程

「変わってるよね。」と言われていました。

長い付き合いになった今でもたまに言われてます。笑

 

母は私に理由を話さなかった。

私は母に理由を聞かなかった。

 

お互いにこの行動を取ったのは

互いを思いやった結果だと思いますが

その結果、私の思考はこうなりました。

 

父が帰ってこなくなった

→理由はわからない

→原因が何かを考える

→自分が好かれていないから、姉よりも出来が悪いからだという答えに辿り着く

→こんな出来の悪い子供は愛されない

→自分は愛されてない、いらない子

→だから父は帰ってこなくなった

 

この心理は

虐待を受けた子供に多い思考なのだと

大人になって知りました。

しかし私は身体的虐待も

ネグレクトもされた覚えは全くありませんし、実際されてません。

しかし、今考えると、突然父がいなくなった事に関してのケアは、誰からもされていなかったな。と思います。

 

子供の心のケアは、本当に大事だと思います。

特に小さい子供は、自分で生きていく力がないので、本能的に親を頼ります。

 

これは何かの本で読んだ記憶がありますが

 

育ててもらわないと、生きられない!と

本能がそうされるのかもしれませんが

虐待を受けた子供は、親や親の行動を肯定し

親が怒るのは自分のせいなんだ。と思うそうです。

なので、大人になったときに自己肯定力が低くなるのだとか。

 

虐待は受けていませんが

私も自己肯定力が低いです。

大人になり自傷行為もしたりしていました。

私はよくこう思っていました。

 

自分は価値のない人間。

生きていても誰も喜ばない。

死んだ方がお金かからないし迷惑もかけない。

絶対的に愛してくれるはずの親にも愛されなかった人間。

親にも愛されなかった人間を他人が愛してくれるはずない。

 

と。

実際、30歳過ぎまでこの考えは続きました。

 

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